井倉 史喬 Fumitaka Ikura
2歳よりリトミックを習い、5歳よりピアノを始める。ピアノを星智子氏、加藤一郎氏、加藤恭子氏、玉置善巳氏、小森谷泉氏に師事。高校生の頃より作曲を始める。作曲を多田栄一氏、鈴木輝明氏、池田哲美氏に師事。声楽を塚田裕之氏に学ぶ。
第25回日本クラシックコンクール全国大会入選。
第7回バッハコンクール一般部門金賞及びペーレンライター賞(1位)
千葉県立東葛飾高校普通科出身。桐朋学園大学音楽学部ピアノ科を経て桐朋学園大学大学院音楽研究科修士課程音楽専攻ピアノソロコース卒業 中学、高校教育専修免許取得
幼稚園では毎日ピアニカを吹いて、先生方から将来の夢はきっと音楽関係だろうと思っていたら、お誕生会で将来の夢は大工さん!!あまりにも電子ピアノ売り場で触っているのを母が見て、2歳の時にアップライトピアノが、小学校2年生の時にピアノを置くために家を建て替え、グランドピアノに。ピアノを習わせようと思った母が3歳から教えてもらえるところがなく、リトミックに。5歳から近くの星先生に。
手が小さくて、もう、教本を進められないと、コンクールに出たりしましたが、3年生から加藤先生にレッスンをして頂くことになりました。中学2年生頃まではオクターブが届かず、ショパンもエチュードも、コンクールも厳しかったです。中学校3年のときは予選通過したものの、手を骨折。左手はギブスをし、親指抜きで出場。審査員の先生はよく出てきたという先生と不注意だという先生の二手に分かれました。コンクール前はなぜか、いろいろ押されてけがをする運命のようです。これで2回目。しかも夏の受験期。受験はどこかへ~~。
音大の附属を受験せず、普通高校へ。1年の時、進路希望提出の時に一人だけ1分もかからず、芸大!と書き、母に勉強は飽きた!と言ったとか。芸大にはいけませんでしたが・・・。
高校の3年から、本来はソルフェージュを習いに多田栄一先生の門を叩き、作曲も教えて頂いて、大学に入るときはソルフェージュコースを音楽高校を卒業しないと入れないコースへ。”君はここにいても習うことがないから、変えてもらえるように言っておく”と上のコースへ行くことに。
ピアノは玉置先生に手の小さいところをカバーできるように、小森谷先生にはピアノへの体重のかけ方をご指導頂きました。
バッハが好きでバッハコンクールに出て、賞を頂きました。手が小さかったので、ピアノの道に進むか、作曲に進むか・・・・。ピアノは若いうちに弾いておかないとと、ピアノに。作曲も大学の副科をとり、今も続けています。作曲は副科で学内演奏に選ばれました。
好きこそものの上手なれ。
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